まるでダメな男の日記

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第1599回 岳飛伝(四)悲曲篇

Posted by ヒッター7777 on   0 comments   0 trackback

 田中芳樹 編訳「岳飛伝(四)悲曲篇」

 紹興八年(西暦1138年)から三年間に渡り、岳家軍と韓家軍は共同して洞庭湖を拠点とする楊玄軍と対峙していた。
 広大な湖と天険の要害に囲まれ、その数、十万と言われる兵を持つ逆賊は容易に攻め落とせない。 
 しかし、徐々に内応してくる将が増え、一気に決戦に機運が高まる。

 紹興九年(西暦1139年)。金と宋が和議し、東京開方府を含む黄河以南の地を宋に返還したことに怒った兀朮(ウジュ)は宮廷に乗り込み、講和派を粛清した。
 甥の合刺(ホラ)をを第三代皇帝・熙宗に据えて軍権を握った兀朮は六十万の兵を持って和議を破約し、黄河を渡る。

 紹興十年(西暦1140年)。楊玄軍との決戦の真っ最中に岳飛は金軍の襲来の報を聞く。
 南宋軍は侵攻を止められず撃破され続けているようだが、岳家軍も容易に動かせない。
 だが金軍も淮河の北岸の順昌府を落とせず、南下が進んでいなかった。
 たった二万の兵で順昌府を守りきったのは宋の元帥の一人・劉錡である。

 ようやく楊玄を討ち取った岳飛は数隊の先発軍を出立させ、決戦の地・朱仙鎮への連戦である。
 岳家軍、韓家軍、劉錡軍ほか三十万の軍は六十万の金軍と対峙するが、岳飛はここで多くの旧知の将を失う事になる。
 次第に敗色を濃厚にしていく金軍。
 ついに開方府に逃げ込んだ兀朮は、かつて盟約を結び宋へ送り返した秦檜に密命を送る。

                   岳飛伝4 悲曲篇
 ああ、やはりこういう運命になるのか。
 中国最大の英雄と言われ、悲劇の将でもあった岳飛。
 この後、岳家軍の再興はあるのだろうか?
 最終巻がどこに行ったのか、見つからない・・・

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